木炭自動車館ができたいきさつ木炭自動車館ができたいきさつ

加計にできた経緯

昔、加計一帯の山間部では、豊富な木材を切り出しイカダにして、人や物資・炭(木炭)などを積み太田川を下り広島市に送っていました。
そのころから、この辺りでは、今でも炭焼きの技術が残り、木炭には熱い思いがあります。

  • 昔から、木材を大量に切り出していました。
  • 信じられないくらい太い木材も運び出していたようです。

そんなとき、山口県岩国市の麻里布モーター株式会社に展示してあった車5台。代表の林氏が、「生まれ育た地元に何か貢献したい」ということで、嫁の実家である安芸太田町加計の友人、森脇氏に話があった。
個人の営利目的で使うのではなく、地域の町おこしの為に使ってほしい」と。
早速、商工会の岩本氏と視察に行き、商工会会長 斎藤氏が、各関係機関に話を打診して2009年03月に移転した加計保育所跡を木炭自動車館にすることとなりました。

開発者 藤村 一夫さん開発者 藤村 一夫さん

16歳で広島の製材会社で働くが、当時最先端の自動車製造業に進出して代替燃料車の、木炭車の研究開発をしていた。その後、大東亜戦争が始まり、21歳で出兵。シンガポール・ジャワ・スマトラ・ニューギニア・タンニバルを回り、命かながら復員する。戦後に自動車修理業を始め、広島の古巣で1年ほど働き、昭和48年に独立。故郷山口県岩国市で麻里布モーター株式会社をはじめる。その後ガソリンの普及に伴い木炭車が消えていったが、後世に残したいという思いで、木炭車の復元を始める。十数台の木炭車を製作するが、現在は、5台が現存している。2台は、生前に岩国市へ寄贈し、残りの3台が、加計に譲っていただくことになった。大事にし、長く後世にこの偉業を残したいとおもう。

  • 木炭自動車のクラウン後部に、木炭をつめる 開発者 藤村一夫氏
  • 藤村一夫氏の木炭自動車をとりあげた記事の一部 新聞・雑誌記事